いま何故マンジャロッティーなのか?

マンジャロッティー展を終えて 2012年6月

1921年生まれのイタリア近代建築の巨匠、アンジェロ・マンジャロッティー展が「マエストロと日本人スタッフとの恊働」という形でイタリア文化会館ホールで行われ、2012年6月末に連日盛況のうち閉幕した。(写真1)展覧会に先駆け、6月13日にはイタリアより来日したアンナ・マンジャロッティー、アルベルト・スポジトの両氏と、マンジャロッティー事務所にかつて勤めていた日本人建築家・デザイナーの川上元美氏、濱口オサミ氏、河合俊和氏が代表として壇上にあがり、座談会が催された。

 マンジャロッティーと日本の関係は深い。マンジャロッティー自身が日本の文化、建築、民家に対して造詣が深いでなく、ミラノの事務所には1960年から現在に至るまで常に日本人スタッフが絶える事無く(通常一人ではあるが)在籍した。近代建築の継承者でありながら日本の文化をこよなく愛したマンジャロッティーであるが、残念な事にこの展覧会を見守るかのように展覧会最終日、ミラノにて91歳の生涯を閉じた。
 
 またある一人の巨匠の幕が閉じたわけであるが、CASABELLAでは最近、近代建築の巨匠と言われる建築家の特集をよく取り上げている。812号(2012年4月号)では偶然にもマンジャロッティーがルドヴィーコ・マジェストレッティ、イニャーツィオ・ガルデッラとともにデザイン特集で掲載されている。その他過去に行われたインタビューの再掲載としてフランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエといった第一世代のモダニストたち、またブックレビューとしても多くの巨匠たちを取り上げている。今回のマンジャロッティーの展覧会も含め、これらの現象は単なるノスタルジーからくるのであろうか?
 CASABELLA 800号記念特集で、編集部は次のように問いかけている。少々長くなるがそのまま引用する。
”過去数十年の間、建築は次第次第に自らの意味を問わなくなった。建築家は、自分がやっている事の意味、含意、基盤を深く考えるのを止めた。歴史家は、いわゆる「議論」を打ち立てるのに懸命で、本来の戦いから退いた。「議論」の空虚さはしばしば転向と同義である。両者の態度は相互に絡まり合い、正当化し合っている。一方は打ち寄せる波に無責任に身を任せ、他方は泡の上に浮かんでいるだけだ。こうした状況は今日ようやく指摘できるようになったものだが、取り返しのつかない過去のツケなのか、あるいは、過去を問う事を止めた文化が決まって陥る、時の偶発的な影響を被りながら過去を単なる投影としか見なくなる萎縮症状なのだろうか?”と。
 
 そのような時代背景の中で催された展覧会であったが、マンジャロッティーの哲学を簡単に紹介したい。
 マンジャロッティーは近代建築の中にあっては第二世代の巨匠である。コルビジェ、ミースは1880年代後半の生まれで、1921年生まれのマンジャロッティーとは30才以上の歳の開きがある。第二次大戦後すぐに活躍し始めたモダニストである。そのため、第一世代の建築家たちが自分の建築を語る過激で挑発的な言葉と違い、幾分洗錬された落ち着きのあるものとなっている。
 彼は自分のデザイン・建築の理念を「ジョイント」「プレファブ」「素材」「匿名性」「フォルム」「システム」「フレキシビリティー」などの言葉で説明する。これらのキーワードは一つ一つ切り離してして説明できるものではなく、彼の作品の中で複雑にネットワークを組んでいるように絡み合っているので作品の実例を挙げながら説明していく。
 多くの日本人がマンジャロッティーの建築と言ったときに真っ先に思い浮かぶのは「プレファブ」建築ではなかろうか?しかしここで言うプレファブは資本主義世界の中で生産性と価格の追求に終わった日本のそれとは大きく違い、「ジョイント」「匿名性」「システム」「フレキシビリティー」、その中でも特に「匿名性」と大きな関わりを持つ。
 第二次大戦後の50-60年代、日本の伝統的な建築が世界的に注目され、その匿名性に共感を受けた建築家が世界の至る所に現れた。もちろんマンジャロッティーもその一人であるが、そのほかアメリカの西海岸でのケース・スタディー・ハウスの例も上げられる。建築家やデザイナーが関わり合いながらの「匿名性」については批評やその限界性も指摘されるが、マンジャロッティーはその可能性を生涯追求したのである。
「匿名性」について、”日本の民家が既にそれを成し遂げていた”と、マンジャロッティーは語る。多くの寺院や教会は何百年も前に誰かによって建てられたのであるが、現代でもそれらの建築は市民に愛され、街の姿を形作っている。
 現代の我々がしなくてはならない事は過去の形態をそのままコピーするのではなく、現代の技術と、現代の素材、その地域の素材を使って抽象的に民家の精神を受け継ぐという事である。ほかの作品にも共通して言えることであるが、彼の作品は建築、プロダクト、彫刻すべてのものに現代の最新の技術が用いられ、また逆に素材を知り尽くした職人との会話によってその素材の持つ本質を見抜くという違った二つの視点を重視している。
(彫刻の写真、スケッチ2)
 バランザーテの教会(写真3)は彼の最初期の作品であるが、インタビューで彼はこの教会、建築の匿名性について、
”私はロンバルディアの出身だ。ここにはローマ時代の建築がたくさんあって、そしてこれらの建築のすばらしさのひとつは、匿名であること。事務所近くにあるサンタンブロージョ、サンビチェンツォやそのほかの教会は誰がつくったかの署名はない。まさにそれは無記名の精神だ。基本的には「バランザーテの教会」もサンタンブロージョ教会も同じであるべきでである。”と説明している。1984年に発行された彼の作品集「ANGELO MANGIAROTTI : IL PROCESSO DEL COSTRUIRE」(建設のプロセス)ではギリシャ建築と彼のプレファブの作品の写真が対で並べられ、その類似性を説明している。(写真 4、手持ちはありません。本のコピーは有り)すなわち比例でデザインされた柱、梁という別々の部材が組み合わされることにより無限の組み合わせと、建設される場所や時代を選ぶことなく同質の建築が供給されるシステムについてである。パルテノン神殿と同様の神殿はギリシャ内だけでなく地中海に面する多くの国、シチリアやモロッコなどの遺跡でも確認できるが、その建築の匿名性が彼の建築の目指すところなのである。
 次に「素材」に対して彼の考え方が分かりやすく説明できる例として、石でできたいくつかの作品を上げることができる。彼のプロダクトで最も有名なものの一つに、テーブル、「エロス」シリーズがある。(写真5、 手持ちはありません。本のコピーは有り)大理石の天板に丸い穴を開け、円錐型の脚を差し込み重力でバランスしているものであるが、このテーブルには彼のデザイン・建築の理念がたくさん詰まっている。この形は大理石という「素材」でないと不可能な「フォルム」だと説明している。何故なら同様の考え方で作られた「アゾロ」(写真6)は大理石に比べ粘りがあり固い御影石を使っているためエロスよりも細く、繊細な「フォルム」になっている。もちろん木で作ろうとしても重さが足らず安定しないので、石がもたらす造形なのだ。天板と脚の「ジョイント」部分は差し込むだけの非常に簡単なものであるが、重力で強固に結びつけられている。プレファブの建築で柱や梁を無造作に一体成型しなかったのと同様に、各部材にはそれぞれ意味がある。この「ジョイント」を洗練させ「システム」として様々な形の天板が用意され、4本脚から一本脚の小テーブルまで様々な形で展開させることで「フォルム」の多様性が得られる。(図版7)
 またマンジャロッティーの場合「フォルム」と機能、素材は重要な関連性を持つ。グラス、アイスストッパー(写真8、スケッチ)はグラスの中程に窪みがありグラスの中のアイスが口の中に入るのを防ぐ役目をになっている。斜めに傾いだ形態のエスプレッソメーカー、コーヒーポット、カラフェ、オイル入れはポットを持った時、手首に負担のかかりにくい位置に重心を移動させるという事と注ぎやすさという機能的な要求から生まれた「フォルム」である。現代社会の中で大量に消費される流行の形と、必要性から派生する「フォルム」の違いは今一度我々の中でも整理しておく必要がある。
 新しい素材への挑戦という事では1968年の第14回ミラノトリエンナーレのパビリオンの計画案が代表的だ。(写真 9)ポリウレタンを素材として計画された曲線をモチーフにしたものであった。公園内の樹木の伐採を行わず、人の流れを考慮し、ポリウレタンという新しい素材でつくられる形態の可能性を追って計画されたものである。今から40年以上前に計画されたものであるがその形態には現代でも十分に通用する新しさがある。
 
 マンジャロッティーの建築、デザインには近代建築、第一世代の建築家たちが持っていない独特の曲線を使った形態がよく出てくる。もちろん彼独特の才能のなせるわざといってしまえばそれまでなのだが、シカゴのデザイン学校で教鞭をとっていた時代、彼はミースやスペースフレームの考案者ワックスマンと交流があった。会場で流れていた対談のビデオで彼は自分のデザインの独自性を次のように述べている。
”ミースからは強い影響を受けました。ミースのようにデザインすることは私にとって割と簡単なことでしたし。ただ、私の中では、ミースはとても素晴らしいけど、彼は彼で私は私だ”と。
このように柔らかな曲面を使っている事もマンジャロッティーの建築やデザインをモダニズムの中で独特なものとしている。その曲面を使ったデザインを単なる個人的感性の域にとどめずに、合理的に説明できるのが今まで述べてきたキーワードなのだ。
 
 
 近代建築は産業革命およびそれに波及されておこった工業化という社会基盤の変化をさけて語る事はできない。工業化でもたらされた新しい素材の大量生産、大量供給、具体的には鉄とガラスそして鉄を巧く利用した鉄筋コンクリートの建築物の誕生である。産業革命、工業化の波に遅れるものの、20世紀初頭にはこれら社会基盤の変化の結果として新しい建築理念、近代建築が確立していった。その近代建築も賞味期限はとうに過ぎている。80年代、歴史を振り返り過去の建築の形態をまた現代に再生する実験が行われた時期があった。いわゆるポスト・モダンと呼ばれる運動である。しかしこれは単なる模倣の域から脱することが出来ない知的ゲームとして自然消滅していった。そのような中で今また歴史を振り返りながら過去の建築を検証する意義は大きい。
 インタビューのビデオでも語っていたように、マンジャロッティーは坂倉順三のパリ万国博日本館(写真10)、前川国男の一連の作品、初期の頃の丹下健三を評価していた。インターナショナルな建築になりすぎず、日本の精神を引き継いでいる日本の近代建築として評価していたのである。
 ある意味で日本人よりも日本的な建築を追求してきたマンジャロッティーの展覧会はそのプロダクトが作り出す表面的な美しさに感動するよりも、その創造の原点である「ジョイント」「プレファブ」「素材」「匿名性」「フォルム」「システム」「フレキシビリティー」などのキーワードを再検証することに意味があったと思うし、消費されるデザインに溺れかけている現代の建築家・デザイナーへの警告、刺激になってのではないかと思う。 
 現代の社会の変化もかなり大きい。10年前には現在のようなインターネットの普及は考えられなかった。頭でインターネット社会を理解していたつもりが実際に運用していく中で考えも及ばない新たな方法を作り出した。様々な資料や情報は本からではなくネット空間から簡単に拾ってくることが出来る。今起っていることが瞬時に世界中の人々と共有することが出来るようになった。そして、それらの変革は間違いなく人間形成の方法や教育制度の変質をもたらしている。同様に建築について語る方法、知る方法も変わった。変革のまっただ中にいる人間には逆にその変革の大きさや意味が感じ取りにくい。現在の情報変革は近代建築の誕生時に経験した大きなカタストロフィー的な変革になるのではなかろうか。